「みんな頑張ってね」「皆さん、おはようございます」
「みんなに協力してもらいたい」
私は小学校の頃から、漠然と投げかけられる「みんな」という言葉の中に
自分は存在していない、と感じる子供だった。
その理由は、明確にあった。
小さい頃、一人っ子でよく大人の話に割って入る子どもだった私に、
「今は、あなたに話してないから」
「〇〇と話してるから、話に入ってこないで」
と再三、怒られていたこと。
そこで、自分が入ってはいけない会話があると学んだこと。
一人っ子で私の周りには、大人しかいないのに。じゃあ、誰と話せばいいのかと不満に思ったりもした。
そして、その教訓を心に刻んで生きてきた結果、
「名前を呼ばれて、
まっすぐに自分のほうを見て語られる言葉以外、
私に言っていることではない、私の入る会話ではない」
という認識が消えなくなってしまったのだ。
社会に出てからも、めちゃくちゃ困っている。
カンファレンスなど、「みんな」の中で進む話し合いは
自分の入る会話ではない、と思わずにはいられない。
話に入って、お前には聞いてないと思われたらどうしよう、
みんなはなぜ、当たり前のように自分に発言権があると思って生きてるんだろう、
なんて考えてたら、だいたい終わる。
子ども時代に怒られた言葉は、子ども時代のこと。
ウジウジしてないで大人社会に適応して生きろよ、と自分でも思うのだけど
そしたら、子ども時代に傷ついた心が報われない気がして
ずっと、言われた言葉を抱きしめて、傷口に塩を揉みこみながら生きている。
ちなみに、名前を呼ばれないと自分に話しているのか分からない、は
アスペルガーの特徴でもあるみたい。